蛙本この土日は、あれもやろう。これもやろう‥‥
金曜日の夜までは、だいたいいつもそう思っています。
ブログも書きたいし、本も読みたい。AIを使って遊びたいし、フォトショやイラレで自分が着るためのTシャツやスウェットだって作りたい。
やりたいことは、わりとたくさんあります。
なのに、いざ土日になると動けない日があります。
昼ごろまで寝て、起きてご飯を食べて、そのままゴロゴロとしてしまう。
少しスマホを触るつもりが、Xを開いて、ショート動画を見て、気になったものをYouTubeで見て、気がついたら数時間経っている。



もう15時だ‥‥
そう思っていたのに、また少し横になって目を閉じてしまい、目が覚めたら外は暗い。そんな日があります。
こういう日があるたびに、前まではずっと思っていました。
また時間を無駄にしてしまったな、と。
でも最近、少しだけ考え方が変わりました。
もしかしたらあれは、浪費ではなくて回復だったのかもしれないな、と。
やりたいことが多いのに、動けない日がある


基本的に僕は、やりたいことが多いほうです。
本当は、土日を丸ごと使って何かを作っていたい。
ブログを書いたり、絵を描いたり、デザインを考えたり、AIを触って試したり。そういう時間は、自分にとってかなり大事です。
だからこそ、何もできずに1日が終わると、地味にヘコみます。
せっかくの休みだったのに。
せっかく自由な時間があったのに。
また何も積み上がらなかったな、と。
特にショート動画を見てしまった日なんかは、罪悪感が強いです。
別に見たくて見ているわけでもないような動画まで流れてきて、それをぼんやり見続けてしまう。見終わったあとに何かが残るわけでもないし、学びがあるわけでもない。
何も残らないことは、ちゃんと分かっているのに、見てしまう。
だから、余計に「浪費したな」という感覚が残ります。
時間の使い方は「浪費」「消費」「投資」だけじゃ片付かない


誰かの受け売りですが、時間の使い方には大きく分けて
「浪費」「消費」「投資」の3つがある、という考え方があります。
これは結構しっくりきています。
「消費」は、生きていくために必要な時間です。
睡眠、食事、身支度、家事。人によっては仕事の時間もここに入るかもしれません。
「投資」は、未来の自分や目標につながる時間です。
勉強をしたり、何かを作ったり、経験を積んだり。僕にとっては、ブログを書くことも、本を読むことも、何かを制作することも、たぶんこの「投資」に入ります。
そして「浪費」は、一般的にはあまり良くない意味で使われます。
とはいえ、「浪費」がゼロでもダメだとも言われます。
おそらく人によって「浪費」を必要とする割合も異なります。
そして最近思うのです。
本当にそれは全部、ただの「浪費」なんだろうかと。
いや、浪費は浪費なのですが、「今日も無駄な時間を過ごしてしまった‥‥」と後悔しても意味がないので、ポジティブに考えることにしました。
たしかに、ショート動画を何時間も見てしまうことを、前向きに語るのは難しいです。できればもっと別のことに時間を使いたい。
ただ、それでも、その時間がなぜ発生しているのかを考えると、少し見え方が変わってきました。
あの日のダラダラは、頭を休ませる時間だったのかもしれない


僕が土日にダラダラしてしまうのは、怠けているからというより、頭が疲れているからなのかもしれません。
体力が切れているというより、脳みそが「もう今日は何も考えたくないです」と言っている感じ。
ショート動画は、良くも悪くも何も考えなくて済みます。次から次へと刺激だけが流れてきて、自分で判断したり、考えたり、決めたりしなくていい。
たぶんあれは、頭を一時的に停止させるための行動なんだと思います。
もちろん、ずっとそれでいいわけではないです。
だけど、完全に無意味な時間だったかというと、そうでもないのかもしれない。
むしろ、そのくらいしないと回復できないくらい、平日の自分は思っている以上に消耗しているのかもしれません。
平日に「投資」しすぎて、土日に反動が来ている


少し振り返ってみると、今の僕は平日に「浪費」の時間がかなり少ないです。
通勤中はSNSの投稿を考えていたり、隙間時間には本を読んだりしています。帰宅してからも、完全に何も考えない時間は以前より減りました。
仕事中は仕事中で、まだまだ慣れない環境の中で、かなりの速度で頭を回しています。
スタートアップのスピードに食らいつこうとしている分、気づかないうちにずっと緊張しているのだと思います。
そう考えると、土日のうちの1日をだらだら潰してしまうのは、ある意味では自然なことなのかもしれません。
平日にずっと「ちゃんとしよう」「前に進もう」「何か得よう」としているから、反動でどこかで何も考えない時間が必要になる。
人間、ずっと投資だけでは回らないのだと思います。


自分を責めるより、「回復した」と思ったほうがいい


こういう日があると、つい自分に言いたくなります。
「また無駄にした」
「もっとできたはずだ」
「せっかくの休みだったのに」
でも、たぶん一番よくないのは、そこでさらに自分を責めることなんだと思います。
だらだらしてしまったうえに、自分を責める。
それをやると、休んだはずなのに全然回復しません。
それなら、
「今日は思った以上に疲れてたんだな」
「ちゃんと回復が必要だったんだな」
と受け止めたほうが、たぶん次に進みやすいです。
実際、何もしない日を1日挟むと、次の日に少しだけ本を読めたり、文章を書きたくなったりすることがあります。
それなら、そのダラダラした1日は、単なる敗北ではなくて、次に動くための回復日だったと言ってもいい気がしています。
何もしない日は、浪費じゃなくて回復だったのかもしれない


もちろん、何日も何日もずっとショート動画だけを見ていたら、それはさすがにしんどいです。バランスは必要です。
だけど、土日のうち1日くらい、何もできない日があること。
昼まで寝て、ご飯を食べて、ゴロゴロして、意味のない動画を眺めて終わる日があること。
それを全部「浪費」と断定しなくてもいいのかなと思うようになりました。
あれはたぶん、怠惰というより回復です。
心とか頭とか、目に見えない部分の電池が切れていて、それを充電していた時間。
だから次に同じような日が来ても、なるべくこう思いたいです。
「こんなに時間を無駄にした」ではなくて、
「自分はちゃんと疲れていたし、今日は回復が必要だったんだな」と。
やりたいことが多いからこそ、何もできない日は苦しいです。
でも、やりたいことを続けていくためにも、回復は必要です。
そう考えると、何もしない日は、案外ちゃんと意味のある1日なのかもしれません。
まとめ:適度な浪費は心の回復時間
今回は、土日の時間の使い方について考えてみました。
ある種、言い訳というか自分に言い聞かせてるというか、自分を正当化してる感じですね。
結局、自分で自分の首を絞めるのが一番しんどいので、ほどほどに回復したことにしておきます。
できるだけポジティブに見方を変えて、次に頑張るために背中を押したいのです。





