カエルのお守りを手作りして、父親にプレゼントする

デザイン画と完成品を並べたアイキャッチ

先日、父親にがんが見つかりました。

色々な検査を乗り越えて、いよいよ手術の日程も確定しそうなところです。

父親はパーキンソン病でもあります。パーキンソン病のなにかの都合上、胃カメラは麻酔なしで飲まなければならず、それ2回も行った父親は凄まじい忍耐力だなと感じています。

先日、父親に手作りのお守りをプレゼントしました。

お守りをプレゼントというと、相手との距離感によっては重く感じたり面倒に感じたりすることもありますが、身内からのお守りなのでさすがに喜んでくれました。

考えてみたら父親に何かをあげたこと自体はじめてです。息子と父親の関係が邪魔をするのかどうにも照れくさくてそういうことはやらないできました。

今回は手作りのお守りをプレゼントして感じたことについて書きたいと思います。

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目次

かわいいカエルのお守りを手作り

お守りを作ってプレゼントしたい

父親ががんの手術を受けることが決まりました。食道がんなので食道を摘出して胃を吊り上げる手術をすることになります。

ずっと健康そのもので病気をしたことがほとんどなく、入院がはじめてな父親です。手術についても前向きで、落ち着いているように見えますが、おそらく不安であるに違いありません。

お守りでもあげようかな、とぼんやり考えていたときに、妻からも「お守りをあげようか」と提案がありました。

僕はたびたび妻にお守りを作ってもらっていました。10年ほど前にひどく体調を崩したときにカエルのお守りを作ってもらい、8年前にブラジルへ20日間ほど行く前にもミサンガを作ってもらいました。

カエルが好きなったきっかけのひとつである父親の話

お守りを作りに当たり、ベースはカエルに決まっていました。僕がカエルが好きですし、そもそもカエルが好きになったきっかけのひとつは父親の影響もあります。

小学生の頃に父親と二人で出かけたときに、父親が僕に「カエルの置物を置こうかと思っている」と話したことがありました。

父親の両親が病気になり、医者からは余命を宣告されていたときのこと。父親は熱心にお見舞いに行っていました。外の空気を吸いに病院の外へ出ると一匹のカエル。父親は藁にもすがる思いで、そのカエルに「もう少し生きさせてもらえないか」とお願いしました。すると両親は宣告されていた余命よりも、随分と長く生きることができたとのことでした。

たしかこんなことだったと記憶しています。おそらくそれが僕の頭に残っていて、カエルが好きになるきっかけのひとつになったんだと思っています。

カエルのお守りをデザインする

お守りを手作りするんだったら、デザインしてもらっていい? と妻からお願いされました。あなたがデザインをして、わたしが縫うから、と。

お守りの中へ入れるものも決め、それが入るようにノートにイラストを書きました。

妻に実現可能かどうかを聞きながら、デザインを固めて、イラレを使って実寸サイズでデザインを作っていきました。

カエルのお守りのデザイン画

細かい色分けをしてもよかったんですが、このためにフェルトを買ったとして、余ったところで他に使うこともないので、緑とアイボリーの2色で済むようなデザインにしました。

カエルのお守りが完成

カエルのお守りのデザインを、手足や目などそれぞれのパーツに分けました。

手作りカエルお守りの型紙

コンビニでプリントアウトして切り取れば、そのまま型紙として使うことができます。

イラストでは口から舌のようにピンクの紐が出ていて、ストラップのように何かに付けられるようにと思っていたのですが、やっぱりやめました。

型紙と切り取ったフェルトの画像

型紙を元にフェルトを切り取り、目鼻、脚のラインを黒い糸で縫いました(妻が)。

完成直前のカエルのお守り

手足を付けて、中身を入れて、口を閉じればついに完成です。僕がダラダラとしていたらあっという間に完成していて驚きました。

僕が指の本数(前足4本・後足5本)にこだわったので、お腹側が少しわかりづらくなってしまいました。

完成したカエルのお守りのお腹側の写真

足の色を変えたり、本数にこだわることなく、よくあるカエルのイラストのように3本指にしていれば、わかりやすいカエルになったのではないかと思います。それでも手作り感があって気に入っています。

誕生日や父の日すら何もあげたことがなかった

考えてみると、父親に何かをあげたことがありませんでした。父の日はもちろん、父親の誕生日ですら何もあげたことがありません。

父親だけでなく、母親に対しても同じです。母の日にカーネーションを送ったこともありません。母の誕生日に「おめでとう」の言葉すら言ったことはありません。

そもそも僕自身も家族から誕生日を祝われた記憶がほとんどありません。あまりそういうことをやらない家族です。

それだとしても家族に対して、お祝いしたい気持ちも、何かを挙げたい気持ちも、感謝を伝えたい気持ちもあったはずです。しかし照れくさいというか、そういう家庭じゃないというか、そういう関係じゃないというか。

全部言い訳なんですが。

自然とできる人のチカラを借りる

完成したカエルのお守りの背中側の画像

僕とは正反対に、妻は感謝を伝えたりプレゼントをすることが自然とできる人です。僕の実家へ行くときに、母の日や父の日が近いと当然のように花を買って行きました。そんなことがなかった両親はそれはそれは喜びました。

今回の父親へのお守りのプレゼントも、おそらく僕ひとりだけでは思っているだけで行動せずに終わった可能性が高かったと思います。父親のがんが見つかり「親孝行をちゃんとやろう」なんて思いましたが、即行動に移せたかどうかわかりません。

今回手作りのお守りを渡して思ったことは
照れくさくてできないことは、自然とできる人のチカラを借りて、少しずつやっていこう
ということ。

妻のチカラを借りて、少しずつ親孝行をしていければと思います。

まとめ:人のチカラを借りれば照れが邪魔することもできるかも

かわいいカエルのお守りが作れました。そして生まれてはじめて父親にプレゼントをするという経験ができました。

カエルは演技のいい生き物ですから、父親も手術を終えて家に帰ってきてくれるはずです。美味しいものを食べるために手術を受ける決断をしたので、落ち着いたらみんなで美味しいものを食べに行く予定になっています。

しばらくは妻のチカラを借りることになると思いますが、親孝行を続けていきたいです。

そして自分も人のチカラになれるような存在にならないといけないな、とあらためて思わされました。

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